子育て

【出産体験談】初産の出産レポート【このブログでイメージを】

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ママ
2018年11月10日(土)に娘が誕生しました。

 

私にとって初めての子ども。

 

夫にも立ち会ってもらい、夫婦一緒に迎えた娘の誕生。

 

あの日、娘が産まれた時の気持ちは今でも鮮明に覚えています。

 

ですが、この先も一生忘れることのないよう、娘の誕生までの記憶をここに振り返って記していきたいと思います。

 

きっとこの記事を読んでいる人は、これから出産を控えている人や、立ち会いを希望している方が多いのではないでしょうか?

 

とはいえ、これはあくまで一例。

 

こんなケースもあるんだなー。

 

程度の気持ちで読んでいただいて、これから出産、あるいは立ち会いを予定しているあなたの参考になれば幸いです。

 

 

目次

実家への里帰り

私は里帰り出産で娘を出産しました。

 

里帰りと言っても、夫と一緒に住んでいた家から実家までの距離は電車で1時間程。

 

初めての出産でとにかく全てが不安だった私は

 

ママ
もしかしたら超早産の可能性もあるかも!

 

と意気込み、出産予定日の1か月半も前から早々に実家に帰っていました。

 

しかし、結果的に出産予定日の4日前に産まれた娘。

 

娘が産まれるまでの里帰り期間は、毎日どこかソワソワと落ち着かず、とても長く感じました。

 

 

出産の3日前

気持ちの切り替え

娘には早く会いたい。

 

でも出産は怖い。

 

そんな感情から、早く産んでしまいたいような、まだ産みたくないような、そんな気持ちで過ごした約1か月半の里帰り期間。

 

それが、ある時「よし産もう!!」と気持ちを切り変えたタイミングがありました。

 

それが出産の3日前。

 

気持ちを切り替えられたきっかけは、体重増加に対する危機感でした。

 

娘の妊娠が分かってから順調に臨月まで増え続けた体重。

 

その体重が妊娠前と比べてプラス15kgというところまできてしまっていました。

 

体重が増え過ぎると難産になると噂で聞いていた私は、焦りました。

 

そして腹をくくったのでした。

 

 

出産を呼び込むために

娘を産む覚悟を決めた私は、出産を呼び込むために良いと聞いたことを色々とやってみました。

 

この時やったことは次の4つです。

 

  1. 公園を1時間ほど散歩
  2. 100段程の階段昇降を1往復
  3. スクワット30回を3セット
  4. 家にいる時はひたすら胡坐

 

臨月に入ると、散歩や階段昇降などの軽い運動を積極的にするように産院の先生から言われていました。

ですが、身体が重くてどうもやる気が出ず、今まで比較的だらだらとあまり動かない生活を送ってしまっていました。

 

それにしても、今思うとスクワットは少し張り切ってやり過ぎだったかなと思います…。

 

今、臨月の方は、あまり無理をしないように、ご自身の体調に合わせた運動をオススメします。汗

 

 

出産の2日前

出産2日前、この日は、前日に急に身体を動かした反動で色々な箇所が筋肉痛となり…。

 

あまり無理はせず、のんびりとした一日を送っていました。

 

いつも通り3食しっかりと食べ、夜は22時頃には就寝。

 

そして、この夜から、出産へ向けた長い長い闘いが始まったのでした。

 

 

出産の1日前

おしるしを確認

深夜2時半頃、お腹のかすかな痛みで目が覚めました。

 

一瞬「まさか」とも思いましたが、トイレへ行くとしっかりと出たので、

 

ママ
トイレに行きたかっただけ?

 

と、少し安心しました。

 

しかし、次の瞬間トイレットペーパーを見た私は一瞬で目が覚めました。

 

ママ
これは…おしるし!!

 

 

前駆陣痛のはじまり

まだ深夜の2時半。

 

寝静まった暗い実家で、誰にも報告することもなく、ひとまず寝室に戻りました。

 

横になり、お腹に全神経を集中させてみると、数分毎に痛みの波があるのをしっかりと確認しました。

 

痛みの強さはお腹を少し壊したかな?という程度で、無視して眠ろうとすれば眠れてしまうくらいの痛みでした。

 

痛みが収まってから、次の痛みを感じるまでの時間を計ってみると…なんと、8分。

 

痛みと痛みの間隔が10分以内の状態が1時間続いたら電話してくださいね。

 

産院の先生からはそう言われていたので、急に心臓がドキドキと早くなるのを感じました。

 

しかし、もう一度改めて時間を計ってみると、今度は20分。

 

計る度に時間が8分、20分、10分、15分と変わり、間隔はバラバラとしていました。

 

ネットで調べてみると、出産に繋がる「本陣痛」の前の痛みを「前駆陣痛」と言うそうです。

 

今思い返すと、この後の長い闘いに備えて、眠れる時に眠っておくべきだったと思います。

 

しかし、この時の私は、陣痛のピークがどんな痛みなのか分からないため、一瞬も痛みの変化も逃すまいと緊張感でいっぱい。

 

とても眠れる状態ではありませんでした。

 

暗い寝室で、数分毎に訪れる痛みの波に身体中の全神経を集中させ続けていました。

 

 

夫へ連絡

深夜2時半頃から始まった前駆陣痛。

 

ギラギラに覚醒してしまった私は、寝室で横になりながら、ただひたすら痛みと痛みの間隔を計り続けていました。

 

そして、窓の外が明るくなってきた6時頃。

 

ようやく夫に連絡しました。

 

寝起きの夫からはすぐに返信があり、色々と相談した結果、その日は金曜日ということもあり

 

夫は仕事を休んで夫の実家に移動することになりました。

 

私が出産予定の産院へは夫の実家からも車ですぐに向かうことができる距離にあるため、そのような判断になったのです。

 

ママ
これでいつ病院に行くことになっても、夫がすぐに来てくれる!

 

緊張感がジワジワと高まる中で、少しだけ安心することができました。

 

 

痛みの間隔を計り続けた一日

夫に連絡した後、起きてきた両親にも報告。

 

しかし、まだ前駆陣痛の状態なので、病院に電話することはできません。

 

この時の痛みは、深夜、一番最初に痛みに気が付いた時よりは痛みの程度が少し強くなり、

 

痛みの波がくると、なぜか腰の骨にもツーンと痛みが走るようになっていました。

 

朝になり、布団から起きたものの、何をしてても痛みの間隔が気になり…。

 

ただただ一日中、憑りつかれたように時間を計り続けていました。

 

ですが、結局その日は夕方まで前駆陣痛が本陣痛に移行することはありませんでした。

 

朝から晩まで時間を計測し続け、精神的に疲れ果てた私は夜0時頃に夫に連絡。

 

前駆陣痛は数日続くこともあるらしいという話も聞き…。

 

次の日も、もし産まれなかったら会おうと約束して電話を切りました。

 

前駆陣痛の痛みは、朝から一日かけて、本当に少しずつ少しずつ強くなっていました。

 

夫に電話した頃、痛みの程度は、話している最中に痛みの波がくると「あいたたたた…」と思わず口から漏れ出てしまう程強くなっていました。

 

相変わらず腰骨の辺りにもツーンと、骨に響くような痛みが走り続けていました。

 

 

急に変化した痛み

確実に強くなってきている痛みを感じながらも、なかなか痛みの間隔は10分を切りませんでした。

 

それが、「今日はもう寝よう」そう思って布団に入った23時頃。

 

急に痛みの種類が変わったのが自分でもよく分かりました。

 

痛みの間隔を計ってみると、7分、8分、7分と、10分以内に確実に痛みがくるようになっています。

 

痛みのレベルも今までの、強弱様々にバラバラと訪れていた痛みとは違い、一定間隔で、長く強く鋭い痛みに変わっていました。

 

フーっと長く息を吐きながらやり過ごさないと、痛みに負けてしまいそうな程。

 

布団に横になりながら痛みの間隔を計り続け、24時頃、ついに10分以内の痛みの間隔が1時間続いたことを確認しました。

 

病院に電話すると「入院用の荷物を持ってすぐに来てください」とのこと。

 

眠ろうとしていた両親を起こし、何日も前から用意してあった入院用のバッグを持つと、車で10分程の産院へと向かうことになりました。

 

 

産院へ

車に乗り込む間にもどんどんと痛みが強くなっていました。

 

思わず、車を運転する父に

 

ママ
なるべく揺れないように運転して!

 

そう叫んでいました。

 

父は恐らくかなり気を遣って運転してくれていたと思います。汗

 

病院に到着すると、ぼんやりと灯りが付いていた時間外入口から病院の中へ。

 

1週間に1回健診に来ていた産院ですが、昼間とは違って夜の病院は外も中も薄暗く、不安な気持ちがより一層強くなりました。

 

電話で伝えられた階に行くと、助産師さんが既に待ち構えていました。

 

一度診察してみましょう。

 

助産師さんにそう言われ、付き添いの母を廊下に残し、私は一度診察室に入りました。

 

子宮口5cm開いてますね。入院しましょう。

 

子宮口がそんなに開いている自覚なんて何もありませんでしたが、いつの間にか5cmも開いていたようです。

 

そして、診察室を出ると入院のための色々な書類を渡されました。

 

書類に住所や名前を書く欄があったのですが、この時既に痛みは段々と普通に耐えるのが難しくなっていました。

 

あまりの痛みで、思わずペンを持っている手が震え、字を書くことさえ難しい程。

 

お母さんが書いてもいいですよ

 

見かねた助産師さんが、付き添っていた母にそう伝え、母に色々な手続きを代わりに進めてもらいました。

 

 

出産当日

夫へ連絡

入院することになったので、夫に電話で連絡。

 

病院にいることを伝え、すぐに病院に向かうように話しました。

 

この時、時刻は深夜の2時頃。

 

前駆陣痛が始まったのが前日の2時半頃でしたので、気が付けば24時間近く一睡もしていませんでした。

 

出産はこれからだというのに…。

 

今思うと信じられません。

 

本当に、病院に来るまでの間、もっと眠っておけば良かった。

 

今はそう思います。

 

ですが、これは今だから思えること。

 

その時の私はとても眠っていられる心情なんかじゃありませんでした。

 

 

陣痛室へ

私が出産した産院では、夫以外の出産立ち会いは行われていませんでした。

 

立ち会い不可で、さらに面会時間外ということで、ここまで付き添ってもらった母は一度家に帰ることに。

 

私は、助産師さんに連れられて陣痛室へと向かいました。

 

陣痛室は6畳程の小さな部屋にベッドと椅子が1つずつ、あとは車いすでも入れるサイズの大きなトイレが1つあるだけの部屋でした。

 

そこに来るまで、陣痛室って、勝手なイメージなのですが、もっと明るくてカラフルでリラックスできる空間をイメージしていたんです。

 

ですが、現実は殺風景でなんの色味のない薄暗く冷たい部屋。

 

ベッドも椅子もとても堅く、座り心地は最悪でした。

 

未知の出産に対する大きな不安も重なり、この時の私には、この部屋がまるで一面灰色の牢獄のように見えました…。

 

子宮口が10cmくらいになるまでこの部屋で過ごすからね~。

 

不安でいっぱいの私に反して、明るくゆったりな口調の助産師さんの雰囲気で、少しだけ気持ちが落ち着きました。

 

また様子見に来るからね。

 

そう言い残し、助産師さんが退出。

 

1人残された私は、椅子に座ってみたり、ベッドに座ってみたり、楽な体制を色々と探し

 

結局ベッドの背もたれを少し高くして、横向きに横たわる姿勢に落ち着きました。

 

なにせ、椅子もベッドもとにかく堅いので、楽な姿勢なんて見つかりませんでした。

 

そうしている間も数分毎に押し寄せる痛みの波。

 

「ふーーーー!」と、声に出して大きく息を吐きながら痛みをやり過ごしていましたが

 

その声も思わず震えてしまう程、痛みはどんどん強さを増していました。

 

 

夫が到着

陣痛室に移動して30分程経った頃でしょうか。

 

3時頃、助産師さんに連れられて夫が陣痛室に入ってきました。

 

独りぼっちで心細かった中、夫が来てくれた安心感はありましたが、それを上回る痛みで

 

到着した夫と色々なことを普通に話す余裕はありませんでした。

 

私が事前にイメージトレーニングしていた「出産立ち会い」は、夫が妻の背中をさすったり手を握ったり団扇で扇いだり…。

 

「ヒッヒッフー」の呼吸法で2人で力を合わせるイメージでした。

 

しかし、実際の出産はそんなもんじゃありませんでした…!

 

夫が到着して間もなく、陣痛の痛みはいよいよ頂点に。

 

数分毎に痛みの波がくると、まるで腰のあたりをハンマーで容赦なく叩かれているような強烈な痛みに襲われ

 

お尻のあたりを何かとてつもなく大きい物体が内側から押している感覚がありました。

 

よく「出産は鼻からスイカ」なんて言葉を聞きますが、まさにその通り。

 

ママ
こんな大きいものが出てくるには出口が小さすぎて到底無理!

 

出産中は「外に出ようとしているとてつもなく大きい存在」と「小さすぎる出口」を感覚的にずっと感じていました。

 

陣痛室に到着後、夫は背中をさすってくれようとしましたが、紛らわすことのできない強烈な痛みに

 

ママ
触られるときついかも!

 

思わず険しい表情で断っていました。

 

間違いなく、今まで生きてきて感じる一番強烈な痛み。

 

段々と普通に耐えることが難しくなり、痛みの波がくる度にベッド脇の手すりにしがみつき、

 

うわーーーーー!!

 

と絶叫し続けていました。

 

暗い陣痛室でベッドに横たわり数分毎に叫び続ける妻と、それをただただ座って見守る夫。

 

いつまで続くのか何も分からない中、じっと見守り続けてくれた夫も、きっととても辛かったことと思います。

 

今何時なのか、どのくらい経ったのか、この時の私には時間の感覚は何もありませんでした。

 

数分毎に訪れる痛みをいつまでもいつまでもやり過ごす時間。

 

この時私は24時間以上睡眠を取っていない状態でした。

 

到底眠れるはずもないのですが、陣痛の合間に強烈な睡魔に襲われウトウト。

 

眠りかけたタイミングで訪れた陣痛に悲鳴をあげ、痛みが過ぎ去るとウトウト…、また悲鳴をあげ…をずっと繰り返していました。

 

暗い部屋と睡魔のせいで、どこか現実味のない薄暗い世界で、終わりのない真っ暗な道を歩き続けているような気分でした。

 

そんな中、時々様子を見に陣痛室に入ってくる助産師さんが救いの神に見えました。

 

助産師さんが来たということは、何かしら出産が進む可能性があるということ。

 

今8cmだよー。もう少しがんばろー。

 

子宮口をチェックされて、そう告げられる度に、

 

ママ
あとどのくらいで産まれますか!?

 

すがるように聞いていました。

 

その助産師さんによると、私の出産の進み具合は「まるで教科書通り」。

 

いたって平均的で順調な進み具合だったようです。

 

あんなに長く感じた陣痛室なのに…、もっともっと長い時間耐え続ける人もいるのかと思うと信じられません…。

 

 

分娩室へ

子宮口10cm!全開だよ。

 

何回目かの助産師さんチェックで、ついに子宮口の全開を確認。

 

次、行けそうな時に分娩室に移動するよー。

 

陣痛と陣痛の間のわずかな時間に少しずつ動き、また痛みがくると耐えて…これを何回か繰り返して、やっとのことで分娩室に移動しました。

 

今まで薄暗い陣痛室で朦朧とした時間をずっと過ごしていましたが、分娩室は明るく電気がついていて

 

急に現実に引き戻されたような気持ちになりました。

 

時計を見ると、時刻は朝の6時。

 

叫び続けている間にいつの間にか夜が明けていました。

 

叫びながら痛みをやり過ごしていた陣痛室と違って、分娩室では陣痛に合わせて「息む」ことができます。

 

痛みの波を段々と感じ始めたタイミングで、まずは、吸って吐いて、吸って吐いて、2回深呼吸。

 

もう一度息深く吸ったら、そこで息を止め、1回息みます。

 

息み方はトイレで「うーーん」と踏ん張るような感じ。

 

ただし、赤ちゃんが出てくるところに力を入れ、赤ちゃんを産むイメージで息みます。

 

そして、「うーーん」と言いたくなってしまうのですが、力が分散してしまうので、声は出さないように。

 

さらに、余計な力が入らないように目もしっかりと見開きます。

 

体勢は、腹筋をするように体を少し起こして、見開いた目で自分のおへそを見るように体を丸めます。

 

その状態で10秒ほどぐーっと息んだら、残っている息を全て吐き出し、そのまま大きく息を吸って2回目の息みを始めます。

 

2回目の息みが終わったら、また全ての息を吐き出し、楽な姿勢に戻ります。

 

ここまでが1セット。

 

これを、5分程の間隔で、痛みの波が訪れる度に何回も繰り返します。

 

痛くて痛くてそれだけで辛いのに、息む動作も加わって、もう言葉では言い表せない苦しさでした。

 

声を出さないように歯を食いしばり、それでも痛みで思わず「ゥーーー」と漏れ出てしまう声。

 

目も鼻の穴も見開いて、それはもう、とんでもない表情をしている自覚がありました。

 

でも、そんなことはどうでもいい!!

 

早く産んでこの痛みから解放されたい!!

 

分娩室では、ただただそれだけを考えていました。

 

その間、夫は私の額ににじんでいる汗をぬぐってくれたり、飲み物をストローで飲ませてくれたり。

 

この時大活躍したのは、こちらのストロー。

 

本当にこれは…買っておいて良かったです。

 

 

また、夫は私が息みやすいように、息むタイミングがくる度に、いつも力強く背中を支えてくれていました。

 

夫の背中の支えがあったおかげで腹筋運動をしているはずなのに、背中がとても楽でした。

 

お互いに耐え忍んでいた陣痛室とは違い、分娩室は、

 

ママ
夫婦で力を合わせて出産している!

 

そんな風に感じることができました。

 

 

出産

分娩室に移動してから1時間程。

 

気が付けば時刻は朝の7時頃になっていました。

 

息んでも息んでもなかなか産まれない娘。

 

ママ
あと何時間頑張れば産まれるのか…。

 

長期戦になることを覚悟し始めた頃、ふらっと隣の部屋から男性医師が現れ、出産の状況を確認すると、

 

8時には確実に産まれます。

 

落ち着いた様子で力強くそう言いました。

 

ですが、その時の私は “もうすぐ産まれる感じ” なんて、これっぽっちも感じることができず、

 

ママ
この状態からあと1時間以内に産まれるなんて…。苦しむ私を元気付けるための気休めなのかも…。

 

そんな風に感じていました。

 

すると、先程現れた男性医師が

 

次、息むタイミングで赤ちゃんの出口少し切りますねー。

 

落ち着いた様子で麻酔の注射を打ち始めました。

 

切られるのは、やはり少し怖い気持ちはありましたが、

 

ママ
早く産まれてくれるなら、もうなんでも良い!

 

そして、再び訪れた痛みの波。

 

スーふーーー、スーふーーーー、2回深呼吸。

 

ぐーっと息み始めたタイミングで、「ジャキン」と、明らかに切られた音が聞こえました。

 

切られる前からもうずっと痛いので、特別切られた痛みは感じませんでした。

 

残っている力をふり絞り、全力で息みました。

 

2回くらい息みましたが、やはり、まだ産まれません。

 

ぐったりしていると、再び男性医師が出産の進行状態を確かめるように覗き込み

 

あと少しなんだけど、赤ちゃんが恥骨に引っかかってるみたいだね。

 

すると、何やら慌ただしくなる分娩室内。

 

すぐに、担当の助産師さんの他に、数人の助産師さんがぞろぞろと現れました。

 

1人が恥骨に引っかかっている頭を吸盤を使って下にずらし、同時に別の人がお腹を上からぐーっと押し込んで息みましょうという作戦のよう。

 

もう、拷問のようだ…。

 

スーふーーー、スーふーーーー、痛みを感じ始めたタイミングで2回深呼吸。

 

せーの、息むよーー!

 

今まで大事に大事に守りながら過ごしてきた、膨らんだお腹。

 

そこを、びっくりするくらい力強く押されました。

 

もう、全てが痛くて苦しくて、どこがどう痛かったのか正直覚えていません。

 

そして、お腹を押されながら、そんな息みを2回程繰り返した時でした。

 

もう息まなくて良いよ!ちゃんと息して!ハッハッハッハーって息するよ!

 

突然、助産師さんから言われました。

 

ママ
あれ?産まれた…?

 

もっと「スルン」と産まれる感覚があるものだと思っていましたが、何にも感じませんでした。

 

そして、次の瞬間、自分の足と足の間から、小さくて真っ赤な赤ちゃんが。

 

力強い声で泣き始めました。

 

ママ
やっと、終わった…。本当に赤ちゃんお腹の中にいたんだ。

 

娘を産んだ瞬間、これが一番初めに感じたことでした。

 

事前イメージでは、感動の涙が流れる予定だったのですが…。汗

 

娘も私も産後の処置を済ませると、小さな肌着を着せられた娘が私の分娩台の横に運ばれてきました。

 

ママ
小さい…。可愛いね。

 

夫と、娘の手を両側から繋いだ時、ようやく娘が産まれてきてくれた喜びを強く感じました。

 

あの時、3人で過ごしたあの時間、本当に本当に幸せでした。

 

 

最後に

夫に出産の立ち会いをしてもらって、娘を産みたい!

 

それは、娘の妊娠が分かった頃からずっと強く思い続けていたことでした。

 

ただ、一方で、一つだけ気になっていたことも。

 

それは、出産の際のひどい自分の姿を見られてしまうということ。

 

ですが、出産を終えた今、そんなことは全く気にする必要のないことだったことが分かりました。

 

確かに、出産中の私は、とんでもなくひどい姿だったと思います…。

 

しかし、そんな自分の姿も全て含めて、娘の出産の一部。

 

娘が産まれるまでの全てを、そして娘が産まれるその瞬間を、夫と一緒に過ごすことができて本当に良かったと思っています。

 

パパ
生んでくれてありがとう。2人で大切に育てようね。

 

娘が産まれた夜、夫から届いたメッセージを見て、本当に幸せな気持ちになりました。

 

長い長い時間、隣でずっと見守り、支え続けてくれた夫には感謝の気持ちでいっぱいです。

 

そして、元気に産まれてきてくれた可愛い可愛い娘。

 

私たちのところにきてくれてありがとう。

 

これから、たくさんの楽しい時間を一緒に過ごそうね。

 

 

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